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生まれ育った街、
西東京市への思い。

私がまだ幼い頃の西東京市、当時の保谷市は、今よりも緑や土が多く、あちこちに子供たちの遊び場がありました。

近所の森には夏にはクワガタやカブトムシが集まる大きな木があったり、小魚やエビが獲れる池があったりで、いつも自然の中で遊んでいた記憶があります。

そんな街並みも時代とともに少しずつ変化してゆき、雑木林や畑が住宅地になってゆくのを目の当たりにし幼いながらに感じた切ないような寂しいような、その時の感覚は、今も心の片隅に残っています。

私の祖父と父は地元保谷市の市議会議員でした。まだ市議会議員という仕事が一体何なのか、何をする仕事なのか、幼い頃の私にはさっぱりわかりませんでした。

実家の軒下には「あさのたかし」と書かれた古びた看板があり、幼い私は「あさの、あさの、あさのたかしです、よろしくお願いします!」と、友達とふざけて大きな声を出しながら近所を歩いていたのは覚えています。

友達のお父さんとはちょっと違うなぁ・・・となんとなく感じていた程度で、祖父、父の市議会議員という仕事について、特に気にもしておりませんでした。

1970年代から1980年代頃の保谷駅周辺は、商店街にとても活気があり、お肉屋さんや八百屋さん、お豆腐屋さん、お惣菜やさん、本屋さん、文房具屋さん、おもちゃ屋さん、駄菓子屋さんと、色んなお店が軒を連ね、威勢の良い声が飛び交い、買い物袋をぶら下げた買い物客と元気な子供たちの声でいつも賑わっていました。

そんな商店街も、あのお店、このお店と、一つずつシャッターが閉まり、やがて取り壊され、そこにビルが建ち、通勤通学の人の波と、バスや車が行き来する通りになり、買い物客で賑わっていた昔の光景は少しずつなくなっていきました。

社会人になり、実家の自転車店を継ぎました。

近所の方が自転車を買ってくれて、その自転車が壊れたら修理に持ってきてくれて、顔を覚えてくれると距離が縮まり、そして会話が生まれ、お付き合いが始まり、繋がって、広がってゆく。

お客さんから、地元について知らなかったこともたくさん教えていただきました。

ずっと生まれ育った地元に暮らし、仕事も地元だったせいか、遅れてやってきた反抗期のように地元と距離を置きたくなる時期もありました。

狭いようで広い、広いようで、やはり狭いこの街。

暖かく感じる時もあれば、正直鬱陶しく感じることもある。

それでもやっぱり離れたくない、離れられない不思議な魅力がある街、西東京市。

ご近所付き合いも希薄になる今の時代に、西東京市にはまだ人と人の繋がり、昔ながらのコミュニティが残り、時に叱咤激励してくれて、時に何も言わずにただ暖かく包み込んでくれる、そんな「人」こそが、西東京市の一番の魅力だと思っています。

地元を愛する人たちが、陰で地元を支えています。

目まぐるしく変化し続ける時代の流れの中で、この土地に古くから続く伝統を守り、継承するため、頑張っている人がいます。

この街に暮らすみんなが、当たり前のように安心して笑顔で暮らせるように、より良い街にしてゆくために、汗を流している人がいます。

父も歳をとり、私も40歳を過ぎた今、影で地元を支える先輩方にいつまでも甘えてばかりはいられない、他力本願ではなく、地元のために自分がすべきことは自分がやらなければと思い、地元のために働く、という決意をしました。

私はこの街に育てられました。

次は私がこの街を育てる番だ、そう思っております。

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